神戸地方裁判所 昭和50年(ワ)601号 判決 1978年7月20日
原告
末永一勢
被告
西本与志弘
ほか三名
主文
一 被告西本与志弘及び同原田哲朗は各自原告に対し金五四八万四二六七円及び内金五〇三万四二六七円に対する昭和五〇年七月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告西本与志弘及び同原田哲朗に対するその余の請求並びに同西本清治及び同原田克司に対する各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを六分し、その五を被告西本与志弘及び同原田哲朗の負担、その余を原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
(原告)
1 被告らは各自原告に対し金六五四万四五七〇円及び内金六〇九万四五七〇円に対する昭和五〇年七月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
(被告ら)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二請求原因
一 交通事故の発生等
(一) 次の交通事故が発生した。
1 発生時 昭和四九年七月二六日午後九時一五分ころ
2 発生地 神戸市垂水区舞子台七丁目一番八号先交差点の横断歩道上
3 加害車 被告原田哲朗運転に係る普通乗用車(以下被告車という)
4 被害者 原告
5 態様 被告車が直進中横断歩道を歩行中の原告に衝突した。
(二) 右事故により原告は左大腿骨々折・頭部外傷Ⅱ型の傷害を蒙り、左記のとおり佐野病院で治療をうけたが、正座不能・躊居困難の後遺症状(一二級)を残した(症状固定日昭和五一年七月二八日)。なお、その治療中右骨折部位を再骨折しているが、それも本件事故と因果関係がある。
1 昭和四九年七月二六日から同年九月三〇日まで(六七日間)入院
2 同年一〇月一日から同月一〇日まで(一〇日間)通院
3 同年一〇月一一日から昭和五〇年五月一日まで(二〇三日間)入院
4 昭和五〇年五月二日から昭和五一年五月一七日まで通院
5 昭和五一年五月一八日から同月二九日まで(一二日間)入院
6 同年五月三〇日から同年七月二八日まで通院
二 被告らはそれぞれ次の事由に基づき本件事故によつて原告に生じた損害賠償をする責任がある。
(一) 被告西本清治(以下被告清治という)は被告車の所有者であり、同西本与志弘(以下被告与志弘という)はその承諾を得て被告車を占有利用していたものであり、本件事故当時同被告において一時被告哲朗に貸与していたものの、依然として被告清治及び同与志弘はいずれも運行供用者の地位にあつたから、それぞれ自賠法三条による責任。
(二) 被告原田哲朗(以下被告哲朗という)は、被告車を運転して本件交差点を直進するに際し、左記過失により本件事故を惹起したから民法七〇九条による責任。
1 本件交差点は被告車進路側の信号が赤点滅、これに交差する道路の信号が黄点滅であつたが、同被告はその対面信号(赤点滅)を無視して被告車進路の前方左右を確認しないまま漫然時速約三〇キロメートルで進行した過失
2 右各信号表示にかんがみ本件交差点は交通整理の行われていない交差点というべきであるから、同被告は徐行運転すべき義務があるのにこれを怠り漫然前記速度で進行した過失
3 本件交差点の横断歩道を歩行中の原告は右目の視力が零、左目の視力が〇・〇六で道交法一四条の「目の見えない者」に該り且つ白色の杖を携行していたところ、同被告は同法七一条二号により一時停止又は徐行すべき義務があるのにこれを怠り、漫然前記速度で進行した過失。
(三) 被告原田克司(以下被告克司という)は、昭和四九年七月末ころ、本件事故によつて原告に生じた一切の損害を支払う旨約した(このことは甲第五〇、第四九号各証に「全快するまで」と記載されていることから明らかである)からその約定による責任。なお右約定は被告哲朗の前記損害賠償責任に基づく債務を重畳的に引き受けたものである。
三 原告は、本件事故によつて左記のとおり損害を蒙つた。
(一) 医療費(佐野病院分)計一七九万六三七三円
1 昭和四九年七月二六日から同年八月三一日までの分 八四万七三五〇円
2 同年九月一日から昭和五〇年四月三〇日までの分 八九万二八四二円
3 昭和五〇年一〇月一日から昭和五一年七月二八日までの分 五万六一八一円
(二) 通院交通費一万二一五〇円
右は前記(一)の3の期間中における通院一五回分のタクシー料金である(往復一回八一〇円の一五回分)。
(三) 入院雑費八万一〇〇〇円
右は一日当りの入院雑費三〇〇円で入院日数二七〇日分。
(四) 付添看護費四九万八四八〇円
右は家政婦に対し支払つた付添看護費である。
(五) 逸失利益
原告は本件事故前訴外横見方所属のマツサージ師として稼働し、毎月少くとも一八万四四〇〇円の収入を得、そのうち二割五分相当(四万六一〇〇円)を同訴外人に支払つていたから実収入は毎月少くとも一三万八三〇〇円であつた。
1 休業損害三三八万三七四〇円
原告は、本件事故のため、前記のとおり昭和四九年七月二六日から昭和五一年七月二八日まで七三四日間入通院加療中、休業を余儀なくされ、その間得べかりし前記収入を失つた。右休業による逸失利益は三三八万三七四〇円(138,300×1/30×734=3,383,740)となる。)
2 将来の逸失利益
原告の前記後遺症による労働能力喪失率は、一四%、その喪失期間は四年とみるべきである。従つて、右後遺症による将来の逸失利益の現価をホフマン式で計算すると八二万一三〇七円(138,300×12×0.14×3.5643=821,307)となる。
(六) 慰藉料三〇四万円
本件事故によつて原告が蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料額は入通院期間中及び後遺症分を併せ三〇四万円が相当である。
(七) 弁護士費用四五万円
原告は弁護士である原告訴訟代理人に本訴を委任し、着手金として一五万円を支払い、成功報酬として三〇万円の支払約束をした。
四 よつて、原告は、前記損害金の総計一〇〇八万三〇五〇円から被告克司らより弁済された医療費五二万円、付添看護費四九万八四八〇円、入院雑費一万円、休業補償費六七万円のほか本件事故に関する自賠責保険金一八四(内後遺症分一〇四万円)万円を控除した残額金六五四万四五七〇円及び内金六〇九万四五七〇円(右六五四万四五七〇円から弁護士費用四五万円を控除した分)に対する本訴状送達の翌日である昭和五〇年七月九日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する被告らの答弁・主張・抗弁
一 請求原因一の(一)の事実は認めるが、同(二)の事実は争う。本件事故と原告の再骨折との間に因果関係があるとしても、その再骨折は原告が加重運動ないし加重刺激を加えるなど原告の落度も原因になつているからその寄与率を考慮し、再骨折後の損害については二分の一の限度で相当因果関係を認めるべきである。
二 請求原因二の(一)の事実は争う。
同二の(二)の事実中被告哲朗が被告車を運転して本件交差点を直進するに際し、その進路の前方左右の確認を怠つた過失により本件事故を惹起したことは認めるが、その余の事実は争う。
同二の(三)の事実は争う。被告克司は、原告主張の昭和四九年七月末ころ、原告に対し、被告哲朗の原告に対する本件事故に基づく損害賠償債務のうち当初三か月間(同年九月末まで)の原告の医療費及び休業補償費(但し一か月一〇万円)につき代位弁済する旨約定したにすぎない。右約定の際には、原告が三か月位で完治することを前提とした話し合いが行われているから「全快するまで」との文言はその趣意である。そして被告克司の右約定による責任は後記弁済等によつて消滅している。仮りに「全快するまで」との文言から原告主張の如く被告克司が原告に対し本件事故によつて生じた一切の損害の支払を約定したものと認められるならば被告克司としては前記趣意で右文言を用いたものであり、意思表示の要素について錯誤があつたから右約定は無効である。
三 請求原因三の事実中(一)、(二)の各事実は不知。同(三)の事実は争う。同(四)の事実は認め、同(五)ないし同(七)の各事実は争う。なお、
1 原告の入院中、昭和四九年七月二八日から同年九月三〇日までと昭和五〇年一月一三日から同年四月二〇日まで計一六二日間は被告哲朗の母田鶴子が原告の付添看護をし入院雑費を負担していたから、その間の入院雑費の損害はない。そして右付添看護の事実は慰藉料算定に当り十分考慮すべきである。
2 また原告は昭和五〇年五月二日歩行訓練を終了して退院したから、遅くも同年五月末ころには後遺症状が固定し就労可能とみるべきである。
四 原告は、本件交差点の横断歩道を横断するに際し、対面信号が赤点滅であつたから、前方左右を注視して横断すべきであるのにこれを怠り、突然被告車の進路上に進出したから原告にも過失がある。なお、原告が視力に欠けており白杖を携行していたとしても、夜間は白杖も遠方から発見しにくいから、原告はひとりで歩行せずに歩行補助者を伴つて歩行すべきであつた。従つて原告には過失があるから本件損害賠償額の算定に当りこれを斟酌すべきである。
五 なお、被告哲朗の母田鶴子が前記一六二日間原告の付添看護をしたことは、一日当り付添看護費二〇〇〇円の割合で計三二万四〇〇〇円の損害が原告に発生し且つその弁済があつたものとみるべきところ、これについても原告の損害として計上して過失相殺の適用をしたうえ、右弁済があつたとすべきである。
六 本件事故によつて原告に生じた損害は次のとおり填補された。
(一) 被告克司は原告に対し医療費として五三万〇九二〇円を支払つた。
(二) 被告与志弘は原告に対し家政婦による付添看護費名義で三〇万八〇〇〇円を支払つたほか、同克司も原告に対し同様名義で四九万八四八〇円を支払つた。
(三) 被告克司は原告に対し休業補償費として六七万円を支払つた。
(四) 原告は本件事故に関する自賠責保険金八〇万円を受領した。
第四被告らの主張・抗弁に対する原告の答弁
左記一、二の点は認めるが、その余は争う。なお、原告は被告克司から入院雑費内金として一万円を受領したほか、本件事故に関する自賠責保険金一〇四万円(後遺症分)を左記八〇万円とは別に受領した。
一 被告哲朗の母田鶴子が被告ら主張の期間中原告の付添看護をしたこと、
二 損害の填補に関する抗弁事実中、
(一) 被告克司が原告に対し医療費として五二万円を支払つたこと、
(二) 被告与志弘が原告に対し家政婦による付添看護費として三〇万八〇〇〇円を支払い、同克司が同様一九万八四八〇円(合計四九万八四八〇円)を支払つたこと、
(三) 被告克司が原告に対し休業補償費として六七万円を支払つたこと、
(四) 原告が本件事故に関する自賠責保険金八〇万円を受領したこと、
第五証拠〔略〕
理由
一 請求原因一の(一)の事実は当事者間に争いがなく、同(二)の事実について判断するに、いずれも成立に争いのない甲第二ないし第五号証、第五五、第五六、第五八号証の一、二及び内第九号証、証人横山良治及び同末永寿恵の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すれば、
(一) 原告は本件事故に因り頭部外傷Ⅱ型、左大腿骨骨折の傷害を蒙つたため、佐野病院で治療を受けたこと、
(二) 右治療の経過等は次のとおりであること、すなわち、
1 昭和四九年七月二六日より入院治療し、同年八月七日右骨折部位に接合金具施用による骨折接合手術を受け、同月一七日より機能訓練を開始して松葉杖使用による軽度の歩行訓練も経て、同年九月三〇日、骨癒合状態は完全ではなかつたが経過良好とみられて一応退院したこと(この間入院日数六七日)、
2 右退院後自宅で療養中、歩行訓練をかねてトイレ等に赴く際家具等につかまつて歩行するなどの起居動作をしていたが、同年一〇月九日朝起床の際、接合骨折部位に強い痛みを憶え、同月一一日診察の結果、右部位が再度骨折しており且つ接合金具の折損を伴つていることが判明したこと、
3 そのため即日再入院し、当初のころギブス固定による自然癒合が図られていたが、昭和五〇年一月一〇日再度接合金具施用による接合術と骨移植術が施され、同年二月ころから機能訓練を開始し、同年五月一日退院したこと(この間入院日数二〇三日)、
4 右退院後通院治療となり、当時左膝・左足関節拘縮の症状を呈していて引続き機能訓練と共に経過観察中のところ、同年一一月二六日移植骨を含む骨癒合状態はほぼ満足な状態となり、昭和五一年五月七日十分な強度を有する程度の骨癒合が完成したこと、そして同月一八日から同月二九日まで(一二日間)入院して前記接合金具除去手術を受け、その後も通院治療したが、同年七月二八日前記拘縮軽快の見込なしと診断され、左膝関節・左足関節の機能障害(正座不能、躊居困難)の後遺症を残したこと、
以上の事実を認めることができ、右認定を左右する証拠はない。ところで、被告らは、原告の再骨折は本件事故と相当因果関係がなく、仮りにあるとしても、それは原告が加重運動ないし加重刺激を加えるなど原告の落度も原因になつているからその寄与率を考慮し再骨折後の損害については二分の一の限度で相当因果関係を認めるべきであると主張する。しかしながら、原告の再骨折は、前記の如く、本件事故による当初の左大腿部骨折の部位に接合金具による接合手術を受けて一応退院後、引き続き歩行訓練をしながらの療養生活中における右接合金具の折損を伴つた同一部位の再骨折であつて、しかも前顕丙第九号証及び証人横山良治の証言によれば、右接合金具の折損を来たすことは稀れではあるが、平常の歩行訓練により継続的に接合部位に力が加わる結果折損するということもあり得ることが認められ、他方、原告が過度の歩行訓練をしたり、その他不用意に接合部位に強い外力が加わるような起居動作をするなど原告側の落度を認むべき証拠はないところ、これらの点を考え合わせると、本件事故と右再骨折との間の相当因果関係を肯認するに妨げないというべく、しかして原告に落度のあつたことを前提とする被告らの右主張も採用しない。
二 次に、請求原因二の各事実について検討する。
(一) 被告清治及び同与志弘の責任について
いずれも、成立に争いのない甲第一四、第一六、第一九号証、被告西本与志弘本人尋問の結果により真正にいずれも成立したと認められる丙第六ないし第八号証、並びに同被告本人尋問の結果を総合すれば、被告車は、かねて被告清治の長男和好が自己のため同被告の了承のもとに、同被告名義で自動車販売会社から所有権留保付割賦販売契約により下関で購入したもので、その関係から自動車登録上の使用者名義も同被告の名義とされて来たこと、しかし、同被告は被告車の運転使用に直接関与したことはなく、右和好において右割賦購入代金の支払は勿論、その運行上の必要経費を負担し被告車を運転使用していたこと、ところが、昭和四八年一〇月ころ右和好の弟である被告与志弘が同人より被告車を譲り受けて、当時同被告の居住先である神戸にこれを運び、爾来本件事故当時まで被告車を運行利用して来たもので、且つ同被告においてその必要経費を負担すると共に割賦購入代金残額を支払つたこと、そして同被告から一時被告車の貸与をうけてこれを運転中の被告哲朗が本件事故を惹起したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、被告与志弘は本件事故当時被告車に対する運行支配及び運行利益を有していたことは明らかであるから自賠法三条による運行供用者責任がある。しかし、被告清治については、同被告の長男和好が被告車を購入するに当つて同被告の名義を貸した関係上自動車登録の使用者名義も同被告名義とされていただけで、本件事故当時被告車に対する運行支配ないし運行利益を有していたものとは云えず、他にこれを有していたことを認めうべき証拠はないから、同被告の自賠法三条による運行供用者責任は肯認することができない。従つて同被告に対する本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当である。
(二) 被告哲朗の責任について
同被告が、被告車を運転のうえ本件交差点を直進するに際し、その進路の前方左右の確認を怠つた過失により本件事故が惹起したことは当事者間に争いがないから、同被告は民法七〇九条に基づく不法行為責任がある。なお、原告は同被告には右過失のほか徐行義務違反等による過失がある旨主張するので、更に本件事故現場の状況、本件事故発生の経緯等につきみてみるにいずれも成立に争いのない甲第一三号証の一ないし三、第一五号証の一、二、第一六、第一七(但し後記措信しない部分を除く)、第一九号証を総合すれば、本件交差点は東西に通ずる幅員(車道)約九・八メートルの道路と南北に通ずる幅員約七・四メートルの道路とが交差する信号機の設置された十字型交差点であつて、本件交差点の四囲にそれぞれ横断歩道の標識が設けられ、本件事故当時右信号表示は東西側が黄点滅、南北側が赤点滅であつたこと、被告哲朗は被告車を運転して制限速度(四〇キロメートル毎時)以下の時速約三〇キロメートルで本件交差点に向け東進中対面信号が黄点滅であることを認めたが、被告車からの前方横断歩道付近に対する見通しは良好であつたこと、そして同被告は被告車前方約一八・八メートル先の本件交差点東側横断歩道上を左から右に横断中の歩行者が途中で立止り被告車の通過を待つている姿を認めたのみで、同様横断中の原告の姿を見落していたため、安心して前記速度のまま直進中、右横断中の原告との距離僅か約八メートルに迫つて初めてこれを発見し急ブレーキをかけたが間に合わず本件事故を惹起したことが認められる。前掲甲第一七号証中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
まず原告は、本件交差点は交通整理の行われていない交差点に該るから同被告は予め徐行すべき義務があるのにこれを怠つた過失がある旨主張するが、なるほど本件交差点は前記認定の信号表示にかんがみ交通整理の行われていない交差点に該ると解されるにせよ、その一事をもつて被告車に徐行義務があるとは云えず、本件は本件交差点東側横断歩道上の歩行者との衝突事故であるからこれとの関係で徐行義務の有無を検討すべきところ、前記の如く被告車からの同横断歩道付近に対する見通しは良好であつたうえ、同被告が本件交差点を直進しようとするに際して同被告が予め認識した同横断歩道付近の状況にかんがみると、予め徐行義務があるとは解し難く、従つて、その徐行義務のあることを前提としてなす原告の右主張は採用できない。
また原告は、原告は「目の見えない者」に該り且つ白い杖を携行していたから同被告には道交法七一条二号による一時停止又は徐行義務違反の過失がある旨主張するが、右義務の覆行は早期に対象者を発見したことが前提となるところ、本件では同被告が原告に気付いた時点では既に衝突を回避することができない状態に陥つていたと認められるから右主張も失当である。
(三) 原告の過失について
他方本件事故発生について原告にも過失があつたかどうかについて検討するに、本件交差点の南北道路側の信号表示は赤点滅であつたことは前記認定のとおりであり、更に前掲各証拠によれば、原告は本件交差点の東側横断歩道を南から北へ横断するに際し、傍らの横断歩行者につづいて横断を開始したのであるが、その後同歩行者が左方より前照灯をつけて接近中の被告車を待避すべく途中で立止つたのに、被告車の接近のみならず同歩行者が立止つたことにも気付かず、そのまま横断を続けた結果本件事故に遭遇したこと、もつとも、原告の視力は左目が零・右目が〇・〇六であり右目視力はかなり低いにせよ夜間の光は一応一〇〇メートル先のものまで見ることができ、しかも原告は長い間市中道路を介助者なしに通行して来た経験者であることが認められる。しかして右事実によれば、原告の視力の点を考慮に入れても、原告が接近中の被告車に気付かなかつたのは原告の不注意によるものと判断され、結局、原告は本件交差点の横断歩道を横断するに際し、左方からの通行車両の有無につき十分確認しないで漫然と横断歩行を続けた過失により本件事故に遭遇したものというべきである。
しかして、以上認定の諸事情に照らして被告哲朗と原告の過失割合を考察すると被告哲朗の過失九、原告の過失一と認めるのが相当である。
(四) 被告克司の責任について
いずれも成立に争いのない甲第四九及び第五〇号証、証人末永寿恵の証言、原告本人尋問の結果(第一回)、被告原田克司本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、被告克司は妻田鶴子ともども当時未成年者であつた自己らの子被告哲朗が起した本件事故の責任を感じ、同女において原告の前記入院当初より付添看護をしていたが、その矢先の昭和四九年七月末ころ、右入院先で原告の妻から治療費等の支払方を要望されたので、右田鶴子はその場で「治療は支払わして貰います」といつて「全快するまでの費用一切を支払う」旨記載した書面(甲第四九号証)を原告の妻に渡したこと、その後間もなく原告の妻と被告克司間で主に休業補償問題について交渉がなされた際、同被告は「一、一日四千円として一ケ月(二五日)拾万円也を全快するまで損害賠償として御渡します。二、病院の支払いは原田克司が全部支払うものとする」旨記載し且つ各項毎に被告克司の記名押印をした書面(甲第五〇号証)を渡し、原告側はこれに異議をとどめずに右書面を受領していることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、右事実、ことに、右各書面の記載内容を対照すると、被告克司は昭和四九年七月末ころ原告の妻を介し原告に対し「全快するまで」の病院治療費のほか休業補償費(但し一か月一〇万円)の支払を約したものと認められる。そして「全快するまで」との文言の趣旨につき按ずるに、前掲各証拠に成立に争いのない甲第一八号証及び証人横山良治の証言を総合すると、原告の入院当初のころ、医師によつて原告の入院加療見込期間は約二か月、全治見込期間は約三か月程度と判断されていて、被告克司は病院への問い合わせにより原告が三か月で全治するだろうと思つていたことが認められ他方、原告としても当時患者として同病院に入院加療中の身でありたのであるから右全治見込期間については了知していたものと推認されるところ、右の「全快するまで」の趣旨はその全治見込期間である三か月、即ち昭和四九年一〇月末までの趣旨と解するのが相当である。
そうすると、被告克司が昭和四九年七月末ころ原告に対してなした約定は、本件事故によつて原告に生じた損害中昭和四九年一〇月末日までにおける病院治療費及び休業補償費(但し一か月一〇万円)の支払約束と認めうるけれども、これを超え原告主張の如く本件事故によつて原告に生じた一切の損害の賠償を約した趣旨とは認められず、他に右主張を肯認するに足る証拠はない(なお、成立に争いのない甲第五一、第五二号証、あるいは被告克司が後記のとおり原告に対し休業補償費六七万円や付添看護費等の支払をしている事実をもつてしても右主張を裏付け得ない)。
しかして、被告克司は右認定の限度での約定責任があり、その約定の対象となつた損害額についてみるに、成立に争いのない甲第七号証によれば昭和四九年一〇月末日までの原告治療費は一二四万〇〇七九円であることが認められ、休業補償費は計算上三二万円となるから、右損害額は合計一五六万〇〇七九円となる。
しかるところ、同被告は右約定責任は弁済等によつて消滅した旨主張するので、この点から先に検討するに、同被告が治療費として五三万円を支払つたことは後記説示のとおりであり、なお自賠責保険金八〇万円が支払われていることは当事者間に争いがなく、これに成立に争いのない甲第七号証を併わせると、右金員合計中一二四万〇〇七九円が右約定に係る治療費の支払に充当されていることが認められ、また、同被告が休業補償費として六七万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、これに被告原田克司本人尋問の結果(第一回)によりいずれも真正に成立したと認められる乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし五を併せると、右金員中三二万円が右約定に係る休業補償費の支払いに充当されていることが認められ、右各認定に反する証拠はない。
してみると、被告克司の右約定責任は弁済等によつて消滅しているから、同被告に対する本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当である。
三 被告与志弘及び同哲朗は前示のとおり本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任があるから、更に判断をすすめる。
(一) 原告に生じた損害については次のとおり認められる。
1 医療費 一七九万六三七三円
いずれも成立に争いのない甲第三、第四、第七、第五六号証を総合すれば、原告の医療費は少くとも請求原因三の(一)のとおりであることが認められ、合計一七九万六三七三円となる。
2 通院交通費 一万二一五〇円
前掲一の(二)の4の認定事実に、成立に争いのない甲第五六号証及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告の要した通院交通費は請求原因三の(二)のとおり一万二一五〇円であることが認められる。
3 入院雑費 六万八四〇〇円
前掲一の(二)の認定事実によると原告の入院日数は総計二八二日となり、入院中の諸雑費は一日当り三〇〇円程度と認めるのが相当である。もつとも、被告哲朗の母田鶴子が右入院期間中一六二日間付添看護したことは当事者間に争いがなく、証人原田田鶴子の証言によれば、右付添期間中同人が原告のため所要雑品等若干を購入支弁していたことが認められるから右付添期間中は一日当り二〇〇円と認めるのが相当である。そうすると原告の入院雑費は六万八四〇〇円(200円×162+300円×120=68,400円)となる。
4 家政婦による付添看護費 四九万八四八〇円
右の付添看護費四九万八四八〇円については当事者間に争いがない。
5 逸失利益
証人横見登美枝の証言により真正に成立したと認められる甲第二九号証、証人末永寿恵の証言によりいずれも真正に成立したと認められる甲第三〇ないし第四六号証、右各証人の証言、原告本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、原告は昭和四二年からマツサージ業横見登美枝方店舗(健康舎)所属のマツサージ師として稼動するようになり、昭和四四年一二月から昭和四七年三月まで結核で入院して休業したことがあつたが完治し、その後は従前同様同店のマツサージ師として稼働してきたこと、本件事故当時原告の年齢は五五歳で健康であつたこと、仕事は同店に顧客を迎えてする場合と顧客先に出張してする場合があつたが、いずれも顧客から徴収したマツサージ料金(水揚げ高)の二割五分を手数料として同店に納め七割五分が自己の実収になつていたこと、原告の昭和四八年ころからの水揚げ高は少くとも毎月一八万四四〇〇円あつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そうすると、原告の当時の月収は少くとも一三万八三〇〇円(184,400円×0.75)となり、これを年収に換算すると一六五万九六〇〇円となる。そして、前掲一の(二)の認定事実に証人末永寿恵、同横山登美枝の各証言、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、本件事故による受傷のために事故の翌日から後遺症の固定した昭和五一年七月二八日の経過後まで休業し、右収入を得られなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。なお、被告らは、原告は昭和五〇年二月歩行訓練を終了して退院したから、その後一か月を経過した同年五月末ころには症状固定し且つ就労可能とみるべきである旨主張するが、原告の症状、加療経過は前掲一の(二)に認定したとおりであるから、右主張は採用できない。
(1) 休業損害三三三万二八四〇円
しかして右事実によれば、原告は本件事故によりその事故の翌日である昭和四九年七月二七日から昭和五一年七月二八日までの七三三日間休業を余儀なくされ、その間得べかりし収入を得られなかつたので、その逸失利益は計三三三万二八四〇円(1,659,600円×1/365×733)となる。
(2) 将来のうべかりし利益、八二万八一四三円
原告の職業、前記後遺症の内容、程度等を考え合わせると、その後遺症による原告の労働能力喪失は少くとも一四%、その労働能力喪失期間は四年と認めるのが相当である。そうすると、原告は本件事故による右後遺症のため将来四年間に亘り毎年得べかりし収入の一四%を喪失することとなるからホフマン式計算法によるその現価の総計は八二万八一四三円(1,659,600×0.14×35643)となる。
6 慰籍料 三〇〇万円
原告が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰籍料は、事故の態様、受傷内容、加療期間、後遺症の程度等諸般の事情を考慮して三〇〇万円と認めるのが相当である。
(二) 以上認定の損害金の合計は九五三万六三八六円となるが、原告の前記過失を斟酌し、右損害金の九割に当る八五八万二七四七円を被告らが賠償すべき損害額と定める。
なお、前示被告哲朗の母田鶴子が一六二日間原告の付添看護をしたことに関し、被告らは、一日当り付添看護費二〇〇〇円の割合で計三二万四〇〇〇円の損害が原告に発生し且つその弁済があつたものとみるべきところ、これについても原告の損害として計上して過失相殺の適用をしたうえ、右弁済があつたとすべきであると主張するが、原告が右田鶴子に対し付添看護料の支払を約したことその他その付添看護による原告側の損害発生の事実を認める証拠はない(前示のとおり、右田鶴子は被告哲朗の母として同被告が惹起した本件事故の責任を感じていたことから原告の付添看護をするに至つたものであるから、被告哲朗側の好意に基づくものというべきである)から、右主張は採用できない。
(三) 次ぎに、弁済等による損害の填補について判断する。
1 いずれも成立に争いのない乙第三ないし第六号証、第七号証の一ないし五、第九号証に被告原田克司本人尋問の結果(第一回)によれば、被告克司は前記医療費中五三万円を支払つたことが認められ(但し内五二万円については当事者間に争いがない)、これに反する証拠はない。被告らは、被告克司は医療費として五三万〇九二〇円を支払つた旨主張するが、右認定額を超える部分についてはこれを認める証拠がない。
2 被告与志弘が家政婦による付添看護費名義で三〇万八〇〇〇円を、同克司が同様名義で四九万八四八〇円を原告に対し各支払つた旨の被告らの主張事実中、被告与志弘の右支払分全額、同克司の右支払分中一九万八四八〇円(合計四九万八四八〇円)については当事者間に争いのないところであるがその余の分についてはこれを認めうる証拠がない(なお成立に争いのない丙第一ないし第五号証は弁論の全趣旨に照らし右争いのない部分に関する領収証と認められる)。
3 被告克司が原告に対し前記休業損害の補償費として六七万円を支払つたことは当事者間に争いがない。
4 原告が本件事故に関する自賠責保険金八〇万円を受領したことも当事者間に争いがない。
5 なお、原告が本件事故に関する自賠責保険金として右八〇万円のほかに一〇四万円(後遺症分)を受領したこと及び被告克司より入院雑費一万円の支払を受けたことは原告の自認するところである。
以上損害の填補金は三五四万八四八〇円となり、これを前記賠償すべき損害額八五八万二七四七円から差引くと五〇三万四二六七円となる。
(四) 弁護士費用
原告が本件訴訟追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任して着手金一五万円を支払い且つ成功報酬として三〇万円の支払約束をしたことは弁論の全趣旨によつて認められ、右合計四五万円の弁護士費用は本件訴訟の内容等諸般の事情を考慮すると本件事故と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。
四 よつて、原告の被告清治及び同克司に対する本訴請求は理由がないので棄却し、被告哲朗及び同与志弘に対する本訴請求中、それぞれ五四八万四二六七円及び内金五〇三万四二六七円に対する本訴状送達の翌日である昭和五〇年七月九日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口彰)